線路の向こう側

鉄道や趣味に関することを週1更新でお届けします。

PFいまだ健在なり。そしてシキ800 

1月の末にさいたま新都心まで用事で出掛けたときに、ふと貨物チャンネルをチェックすると、今からシキの回送が通過するらしいとの情報を得た。

ちょうどカメラは持ち出していたので、武蔵野線三郷駅で撮影。

 

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てっきり、次位にシキかと思ったらコキが先に来ていますのでシキが分かりずらくなってしまったが、めったに撮影できないと思ったのでまあよし。それに直前で設定ミスってシャッタースピード1/160で撮影してしまってぶれてるし・・・。

 

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一応後追いでシキの姿も。

結局編成は以下の通りでした。

EF65-2063+コキ107-522+ヨ8404+シキ801B1+コキ107-749

 

それにしてもEF65PFはいまだ健在なりですね。まだ5年くらいは知ってるんじゃあないでしょうか。1980年頃の機関車ですから、ざっと40年選手。すごいなぁ。

鉄コレ JR101系南武支線 晩年仕様 

 鉄コレからJR101系の南武線仕様が発売されました。実は以前も発売されていたのですが、そのときはあっという間に売り切れてしまい入手できませんでした。今回は・・・実は今回も油断していましたが、何とか入手できました。

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 101系は国鉄の開発した新世代の通勤電車です。私の幼少期は101系といえばこの塗装で南部支線で活躍していたという印象しかありません。とはいえ、実車を見たこともないのですが。。。実車は2003年まで活躍していました。

 この101系は模型としても有名でした。2両編成で走行可能な101系で、一見小型レイアウトに最適なのですが、再現しようとすると結構難しいのです。というのも、乗務員扉の後ろの戸袋窓下で斜めに入るライン。ここの処理が難しい。「塗装が模型化を阻んでいる」とまで言われたものです。ほかに同様の事例としては、白地に青のストライプの115系新潟色なども同様に言われていました。

 鉄コレということで、塗装品質はそれなりではあります。実際に私の購入した個体は、屋根と車体の接合部の色禿がところどころあるようです。ただ、側面はきれいですし、鉄コレはそういうものですから許容範囲だと思います。

 前回発売からようやく手に入った101系南部支線ですが、意外と並べる車両のチョイスが困ることに買ってから気がつきました。タキを連ねた貨物列車と並べることとしましょうか。

ブログを移転しました。

はてなダイアリーから、はてなブログへと移行しました。
はてなダイアリーは初めたのが2005年なんですね。12年前ですよ。だいぶ昔です。若かった、かな?
12年って赤ちゃんが小学校卒業しちゃいますね。

今日はもうこれで終わりにしますけど、また少しずつ記事を書いていければと思います。

カシオペアに乗ってきた話3

ようやく乗車したカシオペア


今回乗車したのは「カシオペアEXツイン」と呼ばれる、車端部の席である。
通常、カシオペアの場合は車両の上下に寝台が配置されるスタイルだが、
このカシオペアEXツインでは、床下の走行用台車を避けるために上下にはなっていない。
枕木方向と線路方向に2台のベッドがあり、枕木方向にはエキストラベッドが引き出せるので
最大3名で利用可能となる。もちろん、寝台料金は3名分必要だが、若干の割引があるので、
割り勘すればツインに乗車するよりも安くなる。
車端部なのでゆれが大きいとの声もあるが、まあ普通だと思う。
意義的には、東海道線E231系のサロで見られる、車端部の平屋室と同様である。



車内はこのような通路になっている。われわれが今回乗車したのは11号車で、展望車(12号車)は近いが、
食堂車(3号車)には結構な距離があるため、この通路を通っていかなければならない。この通路、大柄な私でなくとも
往来には結構気を遣うので注意が必要である。
実際、乗車直後にシャワールームの使用券を3号車食堂付近で購入するのだが、そこにできてしまう列により
乗車直後の貴重な時間が奪われるばかりか、若干不自由さを感じた。






気を取り直して食堂車の夕食である。
今回は3回目のディナーを予約してある。ディナーは日に3回まで、これは切符購入時に予約する。
この3回までに該当しなかった場合はディナータイム終了後のパブタイムで食事を取ることになるが、
このパブタイムまでこの場所で列で待つ必要がある。同じく朝食は予約がないので待たないと食べられない。
上からメニュー、メインディッシュの肉料理、テーブルの装飾。
この装飾は、クリスマスシーズンのためこのように小さなリースがかかっていた。
一番下の画像は食事を終えて立ち去るときに撮影したもの。ちょうど函館駅に停車中で、
パブタイムの準備をしていたところである。
食堂車の雰囲気は、100系新幹線の二階建て食堂車に近い。通路は食事の客席部分とは分離されているのでうっとおしくない。
ただ、夜行列車で、札幌−函館間の食事では、この時期では風景は皆無に等しく、少々残念ではあった。



函館を過ぎると、機関車がDD51からED79に変更され、列車の進行方向も変わることからこのように機関車かぶりつきもできる。
ただ、展望車には常時人がおり、音楽も流されているので落ち着くかと言われると少々難しい。



この写真は翌朝の東北本線を撮影したものだが、きれいな展望が広がっている。
この展望車付近ではグッズの販売も行っており、ちょうどこの食事の後グッズの購入をした。
もう少しラインナップは欲しいかなとも思う。


函館を過ぎると、列車は仙台まで客扱いをせず、走っていく。その仙台も4:32と早朝になる。
この間、忙しかった私は、ノートPCを取り出し、車内に設置されている洗面台から電源を取り、
ひたすら英語をタイプしていた!!!
途中1時間ほどうつらうつらとしていたが、それもご愛嬌である。





翌朝、郡山付近で食事の時間となる。まだ外は暗いが、ちょうど日の出のころだった。
この日は冬至。日の出の瞬間をカシオペア車内で朝食中に拝めるのはこの時ばかりなのかもしれない。
朝食も席取り合戦が繰り広げられるが、なんとか初回分で着席することができた。
綺麗な、朝日でした。


ここまできてしまえば、旅の終わりは近い。
指定されたシャワーチケットを持って朝のシャワーを浴び、展望席で少し談笑。
ツアー利用の年配の方が多かったのだが、機関車がいつの間にか変わっていたとか、
揺れがひどくて寝れなかったとかそういう声が多かった。そんなことないと思うのですが・・・


宇都宮、大宮、そして上野。
旅はもう終わる。そしてこれは、長く続いたブルートレインの系譜の終わりでもある。
ただ、乗車していた感じたのは、このカシオペアは「乗車するための列車」であり、
「目的地に行くための列車」ではないということだ。
乗車が目的で、乗車中に食事や、グッズの購入や、展望車などイベントをクリアしながら上野/札幌を目指すのである。
夜間移動して、そのまま職場へ、という利用は、私と、同行の1名の2名くらいのものだろう。
そういう意味で、ブルートレインではなかった。


私の中では、2015年1月4日に臨時列車の運転を終えた寝台特急あけぼのでブルートレインの歴史は費えている。
2015年8月23日に臨時列車の運転を終えた寝台特急北斗星では歴史の証人とも言える、国鉄時代からの24系客車の運用が終わり、
この寝台特急カシオペアの最終運転日2016年3月21日をもって、わが国における長きに渡る、客車寝台特急の歴史が終わる。
そんな最後の最後、私がこのカシオペアに乗車できたのは僥倖であり、その分払った代償も大きかったが、意義深いものになったと思う。
乗らずに終えるのと、乗れるのは大きな違いがある。それだけでもとても嬉しかった。
カシオペアはクルーズトレインとして、また四季島といったJRの新たな列車にその思いは受け継がれるだろう。
しかし、「時刻表に記載される、誰もが乗車のチャンスがある列車」として運転されるのはこれが最後になってしまうかもしれない。


この年になって、採算性とか、人件費とかそういうことを真剣に考えるようになり、
こんな列車を残すことの意味を金銭的に考えるのが難しいことは重々承知している。
しかし、しかし、何とかならないのだろうか・・・。

カシオペアに乗ってきた話2

新年も明けたことですし、カシオペアに乗車した話の続きを書いてしまいましょう。

12/21、この日はこの旅行3人目の同行者と会うことになっている。彼は、前夜のはまなすで渡道しており、朝の札幌駅で迎えに行くプランもあったのだが、、、頓挫した。
後輩の1人は早朝から乗りつぶしに入ると言い、食事も取らずに宿を出てしまった。さて、私は食事を終えてから先のことを考えるとしよう。


時期がちょうどクリスマス前ということもあり、食堂スペースには立派なツリーが飾られていた。
ツリーを見ながら朝食バイキングをいただく、今日の予定を頭の中で整理しながら・・・。


さて、大変残念ではあるが、仕事が残っているのでこのまま仕事をすることにした。チェックアウトは12時までなのでギリギリまで宿で作業。その後昼食を兼ねて近くにあったスタバへ移動し、スタバのWIFIで作業続行。結局14時過ぎまでそうしていた。


次に、お土産を買わなければならないので、札幌駅へと移動した。この日は平日で、職場を休んでいるので・・・そのお詫びの品である。


北海道新幹線開業までのカウントダウン。ちょうどのこの日は96日前。と同時に、急行はまなすや特急カシオペアの終焉へのカウントダウンでもある。

駅員さんはH5系の風船をセッティング中。しかし、札幌まで全通するわけじゃないのに・・・。

お土産を物色中にこんなお酒を見つけた。欲しい。が、重いのと予算オーバーなので断念した。

いよいよ、電光掲示板には「カシオペア」「上野」の文字が!つい先ほど設置されたH5系の風船と、相容れない存在同士のコラボレーションである。「上野」の文字だけが赤で表示されているのもなんとなしに感慨深い。

少し早めにホームへと上がり、端っこへと向かう。入線してくるところを撮影しようとしたのだが、事前に調べておらず、ポジショニングに失敗。あえなく、3手に分かれて撮影することに。私は先頭部でカメラを構えていたが、寒い!そして結構暗い。

何とかギリギリこのくらいの明るさでは撮影が可能。この721系もいよいよ終わりが見えてきたのだろうか。

そして入線してくるDD51重連にエスコートされるカシオペア。案の定、ぶれる。

負け惜しみで、流し気味に撮影してみる。力強さは表現できたかな。

いよいよ、乗車!

カシオペアに乗ってきた話1

12/21の札幌発上野行 カシオペアに乗車してきたのでそのこと着いて少々書きたいと思います。


寝台特急カシオペアは鉄道ファンは元より、一般の方でも多くの方が知っていて、一部では憧れの的となっている列車である。2015年3月に最後のブルートレインである寝台特急北斗星が廃止され、臨時列車ではあるが、寝台特急として最後の活躍を見せている。それも次の3月までで、北海道新幹線の開業により在来線旅客列車はすべて廃止され、新幹線へと置き換えられるのだから、もはや乗車には一刻の猶予もない。
しかしそんな状況だから、切符はプレミア。違法だが、オークションで高額で取引されている。そのカシオペアのチケットだが、偶然にも私の手元に回ってきた。知人の紹介で浮いているチケットがあるらしい。12/21は平日だが、ほかの日程も後押しして無理矢理ながらも乗車する手はずを整えることができた。

これがその切符である。すごいことに食堂車のディナーもついている。お値段もすごいが。。。ここでふと気づいたのが、カシオペアEXツインという部屋は、3人利用できる部屋で、ならもう一人誘えるんじゃないか、ということだ。ほかに機会もないし、乗れるんならもう一人乗せてしまおう、ということで友人を募ったところ、ちょうど乗車可能な人がいたので3人で乗車することとなった。食事が不安だったか、懐石料理のコースを予約できたのでこれにて万事うまくいった。


さて、当日である。様々なルートが考えられたが、時間的制約も大きかったことから、行きは空路で北海道入りし、帰りをカシオペアとした。最寄り駅から秋葉原へ、京浜東北線で浜松町、モノレールで羽田へと向かった。


この時点で途中の秋葉原で散在しているのだがそれはまた別の機会に話そう。秋葉原で昼食(うどん)をとり羽田へ。実は最初に予約していたのはJAL0523便だった。しかし1時間近く早くついてしまったので、0521便に変更してもらったのだ。
今回はここ3年間の出張で積算されたマイルで移動しており、しかもディスカウントマイルが適用されたのでかなりお得になっている。しかも当初は通路側の席だったのが、窓側の席に変更することができたのもよかった。こうして私の3度目の渡道は飛行機により達成された。ちなみに機材はB777-200Bでおそらく今時では普通の機体ではないか。連日の疲れがたまっていた私は、離陸直後からドリンクサービスが終わるころまで寝こけていて窓の外を見ると夕日が沈むころだった。


そしてたどり着いた新千歳。荷物も預けていないし、早々にJRの新千歳空港駅へと向かった。ホームでは785系快速エアポートの発車が遅れていて、それに飛び乗ることができた。実はこの785系への乗車は今回の目的のひとつでもあった。785系の置き換えは既に発表されているし、北海道新幹線関係のダイヤ改正では新千歳空港発の快速エアポートから785系を含む特急型は撤退することが決まっている。


乗車してきた785系のこの二段表示も見納めになる。


785系。バブル設計を感じさせる、JR北海道初期の名作だろう。


ところで785系と言えば、ホワイトアローすずらんのイメージだが、今はスーパーカムイとして活躍している。


隣のホームには特急北斗が入線した。130キロでかっ飛ばすキハ183系2550/3550番台は頼もしい。これも余命いくばくもないだろう。


さらに奥には旭山動物園号がいた。スラントノーズキハ183もこうなってしまっては何とやら、だがぜひ最後は国鉄色に塗りなおして欲しいものだ。

このように札幌駅でしばし写真を撮りつつも、長居はせず、宿へと向かうことにした。ここでふと思い出したことがあった。そういえば、札幌にポポンデッタがオープンしたのは今週ではなかったか(正確には12/18付け)。これを思い出し、またホテルも同じ方向だったのが運のつき。ポポンデッタで到底お目にかかれないモノを見つけてしまいお買い上げ。その後すぐにATMに走ることになるのはまた別の話である・・・。


時節柄、札幌駅周辺は様々にライトアップされていた。



駅ビルには北海道新幹線開業の大きな広告もあった。しかし、札幌までは今回来ませんよ??

街中の予約したホテルは閑散期なのかツインを予約したのだがトリプルの部屋を案内された。遅れて到着する後輩を書類仕事を少し進めて待つことにした。この時点で時刻は20時であったがほとんど空腹を感じておらず、後輩と合流した後に食事とした。この日は札幌ドームでEXILEのコンサートがあったそうで、女性を中心に夜の札幌駅周辺は結構店が混雑していた。そのため、22時発車の急行はまなすの発車を見送るのも忘れ、スープカレーを食べ、この日は終了。

なお、もう一人の同行者はそのころ青森駅から札幌行の急行はまなすに乗車していた。しかもまさかの重連である。翌朝撮影に赴くことも考慮にいれ、ベッドへと体を預けた。

KATO 43系夜行急行「八甲田」の考察

八甲田と言えば上野発の夜行急行の代表格として有名でしょう。JR化後も14系座席車で運転され、モトトレイン用マニ50が併結され函館まで足を延ばしていました。最終的な廃止は1998年8月22日となっています。


今回模型化されるのは昭和50−52年ころの編成ということですが、基本セットにワサフ8000が入っています。KATOがやり残した宿題として有名なこのワサフ、おそらくASSYは瞬殺でしょう。今回私はワサフASSYだけでなく基本セットを予約しました。


というのも、手持ちの旧客と合わせれば編成が組めるからです。手持ちとセットの関係は以下の通りです。
八甲田基本セット ワサフ8000×1、スハ43×1、スハフ42×2、スロ62×1、ナハ11×2 計7両

単品 スハ43×4両
単品 スハフ42×2両
単品 スロ62×1両
ASSY マニ37×1両
ASSY オユ102572(北オク、冷房車、妙高ASSY)×1両
ASSY スロフ62×1両


上野発の八甲田の編成は基本セットに加えてスハ43×3両を加えた10両なんですね。さらに仙台でスハネ16とスハフ42が加わりますが、EF57/58と合わせるなら10両で充分なんです。
また、上り編成だとオユ10が加わりますが、これも所有しています。セットの品は盛岡所属で非冷房です。私が所有するのは冷房車なので多少異なりますが、どうしても上りを再現したいのでなければ問題ありません。


というわけで今回は基本セット+単品で編成が組めること、基本セットのうちナハ11×2とワサフ8000を所有していないことから購入の価値あり、と判断しました。


問題はEF57を持っていないことか・・・。