線路の向こう側

鉄道や趣味に関することを週1更新でお届けします。

ムーンライトの終焉(2003、2008、2019年の撮影から)

ムーンライトながらの運転終了との知らせは一般人も巻き込んで急速に広がったように思います。まだ、ムーンライトなんて名前がなかった時代、大垣夜行と呼ばれていてそれに乗車した人も多いのでしょう。今も昔も潜在的なニーズとしてある、とにかく、安く、移動したい。そんなニーズにこたえてくれる列車だったのです。

夜行バスがー、新幹線+ビジネスホテルがー、と、夜行列車議論の中でたびたび語られてきたことですが、ニーズは間違いなくあるとしても、採算が取れないようだとそれは企業として続けていくのは難しいことでしょう。今のムーンライトながらはこれまで続いてきたという歴史が運行していたに過ぎず、一度このような社会的な危機の中で止まってしまった中では、続ける理由はなくなってしまったものと思います。

最後の冬の運行となった2019年の様子は既にお伝えした通りです。

nshira.hateblo.jp

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こちらは当日の別カットになります。名古屋駅185系の姿ももう見られないのでしょうね。

さて、私はムーンライトは人生のうちに3回乗車しました。2回は373系ムーンライトながらで、2008年が最後の乗車、ではその前は?というとはっきりした記憶がありません。

f:id:shirakinozomi:20080315222515j:plainしかも残っているのがこの1枚で、他の写真はないという・・・。373系にはMLながら以外では乗車経験がないので何となく残念です。

さて、それ以外に最初に乗車したムーンライト、それは一番最初に「ムーンライト」の名前を冠した「ムーンライトえちご」になります。2003年の3月のことでした。

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車両はまだ165系、ですがシートは200系新幹線のグリーン車の廃車発生品でよく眠れたのを覚えています。

ムーンライトって基本的には民営化後の列車だと思っています。手が空いている国鉄車両をうまくリノベーションして、まだまだ体力のあった昭和の鉄道マンの手によって支えられて、そして体力はあったけど節約したい旅行者が呼応して利用した、そんな列車だったように思います。いまは気力も体力も、節約してもお金すらなくなってしまった。あるいは、お金は別のことに使われるようになったんでしょうね。スマホや通信機器の発達は移動にかけるお金をどんどん減らしていったようにも思います。

そういう意味では、時代の役目を終えたのでしょうね。コロナがなかったとしても、もう終わりは近かったと思います。さようならムーンライト、その月の輝きを私たちは忘れない。