415系800番台七尾線色を入手、しかも2編成!
2月の七尾線訪問以来、415系のことが頭から離れなくなってしまいました。
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そこで415系を入手してきました!
向かって左側がオークションサイトで入手したもの、右側が新品で入手してきたものです。こちら、KATOのラウンドハウス製品で、タイプ品になります。側窓がこのタイプの実車はないそうです。鮮やかな415系の印刷と専用設計の無線アンテナが特徴的で、雰囲気を含めて製品の魅力は十分です。
ちなみに今回試運転線としてワークテーブルを購入してエンドレスを組むことにしました。
オークション入手品は先頭車がLED化改造されていました。
新品の方は元々の電球が使用されています。415系七尾線は1991年の電化、今年30周年を迎え、その活躍を終えたわけですが、それもそのはずでこの製品は2001年の製品でなんと20年ものです。
鮮やかな塗装はJR西日本のお家芸とも言える地域色です。末期は「茜色」になりましたが、七尾線色として鉄道ファンに親しまれていました。
最後は2列車併結の6両編成として・・・とはいえ、まだ中間連結用のカプラーは用意していないので、イメージだけですが。
さて七尾線415系は、運用区間が七尾ー小松間で、津幡からは北陸本線を小松まで運用に入っていましたから、北陸本線の多種多様な在来線列車と顔を合わせていたことと思います。413系、475系、419系、681系、683系、485系、489系、キハ58、トワイライトエクスプレスなどなど。
模型的にもいろんな車両たちと共演していただきましょう。
ポポンデッタで新車の撮影を
ブログ記事は更新できていませんでしたがその間も鉄道模型の増備は続いていましたので今日はそちらをご紹介します。
新車の撮影を自宅・・・でもいいのですが、ポポンデッタまで足を伸ばしてみました。撮影専用線が欲しくなります。
このような記事を見ていると非常に刺激を受けますね・・・。何度も計画してはとん挫しているので、実効性はどうなるかはわかりませんが・・・。
さて、本題です。今回は3編成持ち込みました。
最初は「KATO 10-1539 415系100番代(九州色) 4両増結セット 」を動力化したものです。こちらは増結セットのみ格安でオークションサイトに出品されており、ダブったか何かと考え落札、ASSYで発売されている動力車を組み込んだものです。側窓の一部が固定化されているのが特徴です。私はこの固定窓化されている編成には乗車したことがありません。
続いて「KATO 10-1689 813系200+300番代 6両セット (特別企画品) 」です。JR九州の通勤型では811系・813系が大好きです。JR西日本の221系・223系のように転換クロス3扉車は、通勤通学で使ってみたいと憧れます。
特別企画品は少数派の300番台(左)と多数派の200番台(右)のセットになっていて、ガラスがスモークになっているのが300番台です。模型でも比較的はっきりとその違いが見て取れます。
2編成並べると、鹿児島本線の光景が目に浮かびます。
最後に、「TOMIX 9158 JREH800形電気機関車」です。H級の機関車が1両欲しいと思っていたんですが、セール品で安くなっていたEH800を選びました。カシオペアの牽引実績があるのも選んだ理由の一つです。今度大量増備予定のコンテナ列車を牽引してもらおうと思っています。
絶対に顔を合わせることのない2両ですが、赤い色と相まって関門仕業にもついているかのようです。模型の世界ならではの光景ということで。
今回久しぶりにポポンデッタを楽しませていただきました。なお、この日の滞在時間は約15分で、持ち込んだ3編成の運転は終了しました。一人だとどうも、長い時間走行させる気になりません。これだったらやはり自宅に試運転線を作った方がいいのかなぁ、と思案中です。
記事の更新が途絶えてしまいました・・・
いつもご覧いただいている皆様、記事の更新が途絶えてしまいました。やっつけでだましだましやってきましたが、1年と3カ月で終了という結果に終わり、また新たな目標を立てていきたいと思います。
さて、今日は以下の記事について思うところを少し書かせてください。
本文中にも触れられていますが、機関車のことを「罐(かま)、釜」と呼ぶのは、蒸気機関車がお湯を沸かしてその蒸気で動いていたことに起因しますが、色々な鉄道車両を愛称で呼ぶことはあります。ただ、中には一部で呼ばれているだけのものもありますので、今日は思い思いにあげていこうと思います。
【数字になぞらえた愛称】
EF58は「ゴハチ」、EF65だったら「ロクゴ」のように、形式の数字をそのまま愛称にすることは比較的一般的な気がします。さらに車番の末尾まで入れて、例えば
EF5861「ロクイチ」、EF651059「センゴック」、EH500-901「クマイチ」などと呼ばれることがあります。
最後のクマイチは、901号機というのは多数存在するので、特定の車両を指す愛称としては少々難しい気がします。しかしながら、数字から愛称が決まっていくケースは結構あるように思います。
その中でもEF8181の「パイパイ」は、セクハラのように私は思うのではっきり言って嫌いです。他にもEF6627を「ニーナ」と呼びますが、これも女性の名前を連想させます。何となく違和感があるのは私だけでしょうか・・・?
【形態的特徴からの愛称】
EF55が「ムーミン」と呼ばれたのは、独特のフロントフェイスによります。
EF81300番台の「ステンレス無地塗装なし」の姿を「銀ガマ」と呼ぶのは、それに近いかもしれません。僚機のうち1両が塗装変更された場合に「茶ガマ」のように、愛称が決まるケースもあります。
【特定用途からの愛称① 客車との組み合わせ】
EF8195のように、スーパーエクスプレスレインボーの指定塗装をしている場合には、「レインボー」をもじって、「虹釜」のように、本来の用途からなぞらえていることもあります。ちなみにEF8195は、相方となる客車が廃止された後もそのままの姿で運用されている稀有な例と言えます。他にもカシオペア塗装機を「カシ釜」、北斗星塗装機を「星釜」と呼ぶこともありました。
【特定用途からの愛称① 廃車回送担当】
EF641031などの「双頭連結機」を装備した機関車は、電車の廃車回送をすることから「死神」と呼ばれることがあります。一方で新型車の回送にも同形式が使われることもあるのですが、そちらは「天使?」なんでしょうかね。
こんな感じでいろいろなケースが想定されますが、呼びやすい、親しみやすい名前が付くといいと思います。JR貨物の機関車は、「EF210を桃太郎」、「EH500を金太郎」としたのは今になって思うと愛称の浸透という観点で大分大きかったように思います。
さて少し話題がそれますが・・・「北斗星」のことを「とせい」と呼ぶ方が特に運転末期から増えたなぁという印象がありました。何というか、言葉が乱れているなぁと思っていました。私も年を取ったのかもしれません(笑)
今日は鉄道車両の愛称について考察してみました
二階建てに沸いたころを想う(2019年の撮影から)
185系に隠れるように引退した車両がいたとすればこの215系ではないでしょうか。オール2階建て10両編成、最終的にライナー運用しかその力を生かす場所はなく、わずか4編成しか作られなかった異端車です。
写真は2019年に撮影していました。小田原行の湘南ライナー3号の様子です。19:00発ですが、人もまばらです。二階建てブームとでも言いましょうか、1990年代前半には多くの二階建て車両が生まれました。火付け役はまず間違いなく100系新幹線と思いますが、在来線にまで二階建てブームが到来しました。
そんな中現れたオール2階建ての215系。後にも先にもこれだけという車両形式かなと思います。時代が変わって、何かの間違いで二階建ての新幹線車両が生まれることはあっても、オール二階建ての通勤車両はもう現れることはないと思います。
私はというと、ホリデー快速ビューやまなしで何度かお世話になりました。結構な乗車率だったように思いますが、その列車は今後何で運転されるのでしょうか?もしかしたらもう運転されないのかもしれません。
そして肝心の、着席通勤というサービスのために作った車両が、その使命を全うしたかというと何とも微妙な結果だったように思います。前面の貫通扉は、5両の付属編成を想定した最大15両の構想があったからだとか。
強烈な印象を残したまま、姿を消す215系。ありがとう、そしてまた会う日まで。
七尾線、国鉄車最後の春②(単焦点レンズ編)
前回の記事の続きです。
実は前回の記事はミラーレス一眼のX-A5+XF16-80mmF4 R OIS WRで撮影していますが、今回の記事はD5100+YONGNUO YN50mm F1.8Nで撮影したものです。この50mm単焦点レンズは7800円で販売されています。興味のある方は下のリンクから飛んでください。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06XKBXM43/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o03_s00?ie=UTF8&psc=1
撮影していて50mmはスナップショットには少し取り回しが難しいですが、今回の撮影旅行のような場面だとギリギリ許容範囲かなと感じました。
最初に乗車した加賀のれん号は和倉温泉駅でのと鉄道の車両と並びました。
車内で買ったコーヒーにデザイン性を感じます。細部まで考えられているのはとても気持ちが良いです。
残念ながら3/12に引退してしまった413系の最後の活躍です。
681系と並んで・・・最後の別れでしょうか。平成の北陸本線の主役と呼ぶにふさわしい2形式です。
待避線にはクハ455-702以下の413系がお休み中でした。この色で2扉の側面を見ると50系客車を思い出します。
七尾駅ホームに残る歴史の残照を見つけました。
少し色褪せた塗装の感じがいい雰囲気です。静けさを感じました。
このホームに、たくさんの温泉客が降り立ったんでしょうか。
金沢までは415系で戻ります。
あの手すりが好きです。工夫された機能美を感じます。
金沢の手前の津幡駅で列車を降りました。ここには待合室があります。管理の観点や老朽化で待合室は減少傾向なのは残念です。この木製の椅子には何度かお世話になりました。
ホーム上には列車の速度標識が・・・「485・489系」はもう来ることはありません。
金沢駅に戻ってきました。521系と顔を合わせます。乗客はやっぱり新しい右の車両の方がいいのでしょうか。
夕方の413系の6連です。この角度は何度見ても札幌駅に見えてきます。
第3セクターの車両と並びました。
そして413系の新北陸色。調べたら現在2編成が走っているそうです。
最後に415系の6連。普段3連の地区ですから6連は迫力がありました。関東にいれば倍以上の15連もありますが、この6連はすごく迫力を感じたのは何故でしょう・・・・。
金沢を後にして413系で富山まで移動しました。高架駅になった富山駅を最後に新幹線に乗車、北陸を後にしました。
いかがでしたでしょうか。単焦点らしいボケの強い写真も何枚か紹介させていただきました。明るく取れるレンズが1本欲しかったのですが、その目的は達せられたように思います。ただし室内の撮影など、結構厳しい面もありましたので、もっと広角よりの単焦点レンズも欲しくなりましたが・・・今後の課題です。
七尾線、国鉄車最後の春①(ミラーレス一眼編)
この3月改正で七尾線から413系、415系の引退が決まっており、そろそろ現地では騒がしくなっていることでしょう。一足先にお別れを済ませてきたのでその模様をお伝えします。
まずは金沢駅から和倉温泉駅へ、この花嫁のれんで移動しました。
水戸岡車両っぽいけど、微妙に違うような?感じです。
途中415系とすれ違い。七尾線の415系は全面幕が黄色で、3色塗装が特徴だったが今は茜色の単色塗装に。これが昔の50系客車のように見えて雰囲気がいいと最近は思うようになりました。
七尾駅まで戻ってきて413系に乗車、413系は全面幕がふさがれていて2扉車が特徴です。
能登部駅で待っていると、レアな車両がやってきました。
クハ455-702という、急行型車両の生き残りです。
このクハ455の編成は2編成が現在も運用中で、その昔は北陸本線を走り回っており、新北陸色や青一色時代にも乗車経験があります。
金沢駅に戻ってきて415系6連の運用を見学、この日は土曜日なので6連ですが日曜日は3連の運用になるそうです。。
ここで嬉しい誤算、あいの風とやま鉄道の413系新北陸色に対面!金沢駅にこの色、懐かしいです。
さらに夕方の七尾線6連運用で、前から3両目にクハ455の姿が見えます。6連だと長いし迫力があります。
そして金沢駅の最後は413系の青と茜色の並ぶ光景を目撃しました。
以上、金沢駅に到着してから、七尾線、そして戻ってきて富山まで元北陸本線を415系、413系のいずれかで移動するという、国鉄型車両の旅でした。いよいよ今週で最後になりますが、トラブルにならないことを願います。
我孫子踊り子を見送りに
先週の記事がついに書けずに土曜日を迎えてしまいました。今週2つ記事を書いて挽回できればと思います。
さて、先週最後の運行になった踊り子111号を見送ってきたのでご紹介します。我孫子発の踊り子号は成田線活性化推進協議会という団体が推進していたり、若干政治色の見え隠れする列車です。
http://www.naritaline.com/odoriko.html
全席指定列車で運転されているのも珍しいかもしれません。大宮区の185系が使用されています。常磐線からの伊豆方面の需要というのは伝統的にあるようで、古くは平(現いわき)発の「常磐伊豆」などの急行列車が存在していました。
我孫子発ですが、時間の都合で柏からその模様をお伝えします。
今回は7両編成ですが、10両編成のケースもあり、東京駅時点で指定席満席ということもありました。春の臨時列車ではこの日を最後に設定がありませんが、今後E257系でも運転されるのか注目されています。
そしてやってきました。小田急の車両と並んでいるのは近年の常磐線を象徴する光景のように見えます。
185系の入線です。多くの乗客がありました。指定席があいていましたので、品川まで乗車することにします。車内は鉄道ファンが半分強、残りが純粋に伊豆に行かれる方という感じでした。まあ、平和な方だったと思います。