マイクロエース113系分散冷房車の購入と思い出(2005年の撮影から)
今日は先日発売されたマイクロエースの「A6752 113系 1000番台初期型 横須賀色 分散冷房車 基本4両セット」を購入してきましたのでそのご紹介です。113系と言えば長年千葉県で活躍しており思い入れのある車両です。
箱を開けるとこの通りで、懐かしい写真を見ることができます。
クハを箱から出してみます。うーん、この冷房の3機乗った屋根がまさに分散冷房車。集中冷房よりも危機がいいんだろうと思っていたんですが実際はそうでもなく見掛け倒しだったわけですがどうも憎めないなあと思っています。
今回一番驚いたのがこの行先シールかもしれません。ほぼ網羅しているのではないでしょうか。感動ものです。
最後に実車の写真を紹介しましょう。今から15年前、2005年の千葉駅での写真です。
もうそんなに前なんですね。113系が活躍していたのは。懐かしさがこみ上げてきます。
485系、いよいよ・・・(2017年の撮影から)
先日の205系の引退を見ながら、そろそろ本気で終わってしまいそうなのが485系。現在は華、やまどり、ジパングの3編成が稼働中ですが、あれだけ全国を走り回っていた485系のことを想うと、もはや風前の灯火と言えるでしょう。
写真は485系のNO.DO.KAで大宮駅での撮影です。比較的最後まで首都圏への乗り入れを実施していた気がしました。デビュー時はシルフィードという名前で、DE10のエスコートで非電化区間への乗り入れをしていたのが懐かしいですね。
実はこの日の目当ては別にありました。
大宮発十日町駅行の特急ほくほく十日町雪祭号です。「いなほ」HMのまま、E653系が大宮に姿を見せていました。485系亡き後は、この653系が485系のような活躍をしていて、例えば新潟、秋田方面からのディズニーランド臨などにも充当実績があります。元の所属は勝田電車区であり、485系を置き換えたE653系はE657系に押し出される形で新潟へ移りました。その姿もかつての485系を思い出します。
世間が落ち着いたらまたこんな列車で旅をしたいものです。
SLやまぐち号のD51200(2019年の撮影から)
先日SLやまぐち号のC571が故障したのは記憶に新しいところ。SLやまぐち号といえばC571のイメージが最も強いのではと思います。D51200に代わることがニュースになるくらいですからね。
確かにこれまでC571が山口線の主のような存在だったような気がします。JR西日本としてはC56160の本線運転からの引退があって、代わりに本線に復帰したのがこのD51200で、C571の負担を減らすべく、D51200もSLやまぐち号の運用に時折入るようになる、そんな認識を持っていました。だから今回のようにC571に不具合が発生したのなら、D51200がその任務を全うするのは自然な流れのように感じます。
写真は2019年に乗車したSLやまぐち号の写真です。この時もD51200が先頭に立っていました。
SLやまぐち号はオハ35系4000番台の新車が入って以来、他の客車や機関車の淘汰もあって、あまり多形式の入線がみられなくなってしまいました。
少し前まではSLやまぐち号に14系あすか、サロンカーなにわ、マイテ49なども登板していましたし、機関車もC56160のほかに、C581なども務めていました。まだ青い12系もマイテ49もあるうちに、運転に入ることを願います。
205系狂想曲は終わり、日常が戻った。
205系最後の1編成の離脱、そして配給輸送、全てが鮮やかに過ぎていきました。ファンも多少の混乱があったとはいえ、このくらいで収まってよかったというのが正直な感想です。
今日は今から半年前、3月にM22編成を撮影していましたので、その写真で追悼したいと思います。
まず前座的に73レの貨物列車、この日はEF66111でした。
そしてこの日の205系M22編成、府中本町行。後退角の付いた前面窓、一世を風靡したブラックフェイス、日常の1枚がここにありました。
そして武蔵野線は209系とE231系の中古車天国になりましたとさ。さてあとは宇都宮線と日光線の205系、私鉄だと富士急行にもいましたね。また会いたくなったら彼らのところに行きましょうか。
それにしても宇都宮線の205系の東海道色は、未だに慣れません。
さようなら、武蔵野線の205系、頼むから平和に、ね?(2017年の撮影から)
今から3年前の2017年はまだまだ武蔵野線で205系が元気に活躍していました。
EF652138の単機回送です。僚機の2139号機は一番先に国鉄色に塗装されて人気もありますが、この2138号機は比較的地味存在かなと思います。
まあ、やはり最後は色々あるようなので、なんと申しますか、何も言えないなぁと思う次第であります。色々主張はあると思うのですが、やはり最後の1編成というと見たくなる、乗りたくなるのは人間の性と申しましょうか、やはり避けられないものでありますし、それを否定してしまうのは違うと思います。
かといって現場に迷惑をかけるのもどうかと思いますが、それよりもそれをやり玉に挙げて批判して、騒ぎを大きくするSNSや報道機関の姿勢に問題があるのではないかと考えます。
お互いが静かにしていればそれで済むんでしょうが、それすらも時代に合っていないのか。かといって違法的な行為や安全上問題のある行為を野放しにするわけにもいきませんし、モラル、常識だけではどうしようもない範囲に入りつつあると考えております。
とはいえ、米国大統領選挙に目を向けても、互いの候補の中傷合戦となっているようで、これは国家とか文化だけではなく、疲れ切った現代人同士で起きうる諍いのように映ります。
私は、あとは無事に終わることを願うのみです。
Last One ~205系最後の活躍~
先週、都内に出かけるときにちょうど205系が来ることが分かったため、少々遠回りですが武蔵野線、京葉線経由で向かいました。
この日は1日205系が運用についていました。
クハ205-10、山手線時代とは異なるホームですが、東京駅に到着する205系は一仕事終えた感じです。
しかしまだそれほど混乱をきたすような状況にはなっていません。平和に過ごすことができました。
座り慣れたふかふかのシートともお別れの時が近いようです。
長い間活躍した証のような方向幕の汚れ。方向幕が回転する間に見せる行先は、いろんな可能性を感じさせてくれました。最後の日まで、どうか安全に。
それにしても、103系がいたころが懐かしい。武蔵野線の103系は、窓枠をがたがた揺らしながら、爆走していました。205系もいいですが、少し上品です。それもそのはず、まだ余力を残して引退しジャカルタで活躍するのですから。
第二の仕事場でもどうか、頑張って。
JRFコンテナ、減りましたね。(2017年の撮影から)
ふと、コンテナの紹介をするブログを見かけました。今のコンテナってJRFマークがもう入っていないんですよね。2017年、3年前の写真を見ると、心が落ち着くようなJRFマークの編成がそこにはありました。
牽引機はEF652075で、今でも更新色で活躍を続けています。このEF65もなかなかなくならないとはいえ、この2075号機は昭和51年生、すなわち1976年ですから、もう44年選手です。そろそろ引退が見えてきているんでしょうか。それにしても、EF65の中にはJRの方が車歴が長い車両もたくさんありますね。1987年の民営化ですから、例えばこの2075号機は国鉄で11年、JRで33年を過ごしていることになります。